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きかせてください、ゲームのこと
連載:どうして、このゲームをつくったんですか?
倦怠期 新澤 大樹さん

「クイズにならない問題」を 活かしたかった。

取材・文:大高(すごろくや)
公開日:2025年12月12日
「クイズにならない問題」を 活かしたかった。

「どうして、このゲームをつくったんですか?」は、ボードゲーム作家の方々がどのように考え、形にしていったのかを聞くインタビューシリーズです。第三段では、競馬型クイズゲーム『キャピタルホース』について、倦怠期・新澤大樹さんにお話を伺いました。

PROFILE
新澤 大樹
倦怠期
新澤 大樹(しんざわ たいき)
x.com/shzwtk

1991年新潟県生まれ。東京在住。2011年ごろからボードゲームを製作開始。パズル製作会社に就職。現在も従事。現在も本業とは別に10年近くボードゲームを製作発表し続けている。

1

説明書を読むために。

  1. 本日は、どうぞよろしくお願いします。
新澤
お願いします。
  1. 『キャピタルホース』について詳しく伺う前に、まずは、どうして新澤さんがボードゲームをつくられるようになったのかを、お聞きしていきたいと思っています。
新澤
わかりました。
  1. では。いつごろからボードゲームで遊ぶようになったんでしょうか?
新澤
出合いは15〜16年前で、大学1年のころですね。出身が新潟なんですけど、ゴールデンウィークに帰省するとき、地元の友だちと3人で温泉旅行することになったんです。で、温泉入ったあとはなにをしようか、ということで、ボードゲームがいいんじゃないかと。ネットでボードゲームが買えるお店を調べて行ったのが、高円寺のすごろくやだったんですよ。
  1. わぁ、そうなんですね。そのときは、なにを買われたんでしょう?
新澤
えっと、『ごきぶりポーカー』と『カタン』と、『バボーン!』ですね。
  1. その3タイトルを、温泉に入ったあと遊んだ、と。
新澤
はい、カタンがいちばん盛り上がりました。カードゲームのほうは、勘どころがわからないとおもしろくならなくて、徐々にって感じでした。
  1. その温泉旅行が、ボードゲームで遊ぶようになるきっかけになったんですね。
新澤
そうです。ボードゲームっておもしろいなと思いまして、バイトをしてはボードゲームを買う、みたいな感じになりました。
  1. おぉ、バイト代がボードゲームに。東京では、大学やバイト先の友だちと遊んでいたんですか?
新澤
いや、ほとんど遊んでないんです。2〜3か月に1回遊べればいいほうだったと思います。
  1. 遊んでないんですか。
新澤
どちらかというと、収集していた感じです。すごろくやに行ったり、オークションで買ったりしていました。
  1. おもしろそうだと思ったゲームをひたすら集めていたんですね。
新澤
はい。そのころは遊べなくても、説明書を読むのがおもしろかったんですよ。むしろ、説明書を読むためにボードゲームを買う、みたいな。別に遊べなくてもいいぐらいの時期でした()
  1. 説明書を読むために!!!
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新澤
ははは()、ルールがけっこう新鮮に映っていたんで、読むだけでたのしかったんですよ。
  1. 私は、説明書を読んでも遊び方が全然わからないことがあるんですけど、新澤さんはスッと理解できたんでしょうか。
新澤
いや、読んだだけではわからないものもありますね。実際に遊んでもわからなかった場合もあるし、遊んだらルールの意味がわかっておもしろかった場合もあります。
  1. 後者の、遊んだらルールの意味がわかったゲームは印象に残りそうですね。
新澤
そうですね。例えば、『ボーナンザ』というカードゲームでは、「手札の順番を入れ替えてはいけない」というルールがあるんです。山札から引いたカードは、手札のいちばん後ろに加えないとダメ。今では、いろんなゲームに使われているルールなんですが、そのころは、このルールがどう活きるのか、説明書を読んだだけではわかりませんでした。でも、実際にプレイしてみたら、しっかりおもしろかった。このルールは自分じゃ思いつかないし、想像もできなかったというのは、いい経験でした。
  1. 「自分じゃ思いつかない」とおっしゃいましたが、新澤さんは「ゲームを買って説明書を読む」段階から、「ゲームをつくる」段階に移ったわけじゃないですか。
新澤
そうですね。
  1. それはどういう流れだったんでしょうか。
新澤
あー、やることがなくなったからですね。
  1. やることがなくなった?
新澤
買えるものがなくなったんです。欲しいゲームは、ちょっと高いものだったり、すぐには手にいれることができなかったりして、買えなくなりまして。まぁ、遊ぶのは全然できてなかったけど、一人でもやることがなくなったんですね。で、ルールにすごくリスペクトがあったので、自分でもつくってみたいなと思って。
  1. へぇー、それはゲームを買いはじめてからどのくらい経ったころなんですか?
新澤
えーと、3〜4か月から半年くらいですね。
  1. えっ、3〜4か月で!
新澤
夏休みがあったんで。大学生の夏休みって長いから。
  1. あー、なるほど。その期間にめぼしいゲームの説明書は読み漁り終わったので、自分でもゲームをつくってみた、と。
新澤
はい。最初につくったのは『卑怯なコウモリ』というタイトルで、イソップ物語をモデルにしました。3種類のカードを出し合って、多数決で勝敗を決めていくって感じのゲームですね。それをつくって、ゲームマーケットに出しました。
  1. 最初のゲームから商品化して、ゲームマーケットにも出展されたんですね。
新澤
そうですね、自主制作で。
  1. それから、今までにどのくらいゲームをつくられているんでしょうか。
新澤
30〜35個くらいは自分でつくっていて、その後メーカーから出版されたものを含めると40個くらいになると思います。
  1. 年に3〜4タイトル出されているペースですね。あの、余談なんですけど、最初に出した『卑怯なコウモリ』のときから、「倦怠期」というサークル名だったんですか?
新澤
はい。当時は2人でやってまして、私の下の名前が「タイキ」で、もう一人の名前が「ケン」だったので、そのままつなげて‥‥。
  1. 「ケンタイキ」、なんですね! お話を伺う前に新澤さんのことを調べようと思って、ネットで「倦怠期」と調べると、こう、男女のもめ事ばかり出てきてしまって‥‥()
新澤
そうですよね()。しばらく、男女のサークルだと思われていたこともありました。
  1. 私も一瞬思いました()。ケンさんは、もうサークルには参加されていないんですね。
新澤
はい、1〜2回参加したあとは、私1人でやってますね。当時、彼は大阪の芸大に通っていて、ボードゲーム制作が大学の課題にもなる、みたいな感じだったかと。
  1. ああ、当時は大学生だったんですもんね。
新澤
そうです。‥‥あのー、ケン君は最初に話した温泉旅行へ一緒に行ったうちの1人なんです。
  1. わぁ、そこにつながるんだ()
新澤
()
  1. ということは、その温泉旅行から、新澤さんの人生がだいぶ変わったことになりますね。
新澤
そうですね、けっこう変わったと思います。あと、一作目の『卑怯なコウモリ』はすごろくやで売ってもらえたり、オインクゲームズにリメイクされたりしましたし、一作目がボードゲーム作家のはじまりとして、かなり大きかったですね。
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