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説明書を読むために。
- 本日は、どうぞよろしくお願いします。
- 新澤
- お願いします。
- 『キャピタルホース』について詳しく伺う前に、まずは、どうして新澤さんがボードゲームをつくられるようになったのかを、お聞きしていきたいと思っています。
- 新澤
- わかりました。
- では。いつごろからボードゲームで遊ぶようになったんでしょうか?
- 新澤
- 出合いは15〜16年前で、大学1年のころですね。出身が新潟なんですけど、ゴールデンウィークに帰省するとき、地元の友だちと3人で温泉旅行することになったんです。で、温泉入ったあとはなにをしようか、ということで、ボードゲームがいいんじゃないかと。ネットでボードゲームが買えるお店を調べて行ったのが、高円寺のすごろくやだったんですよ。
- わぁ、そうなんですね。そのときは、なにを買われたんでしょう?
- 新澤
- えっと、『ごきぶりポーカー』と『カタン』と、『バボーン!』ですね。
- その3タイトルを、温泉に入ったあと遊んだ、と。
- 新澤
- はい、カタンがいちばん盛り上がりました。カードゲームのほうは、勘どころがわからないとおもしろくならなくて、徐々にって感じでした。
- その温泉旅行が、ボードゲームで遊ぶようになるきっかけになったんですね。
- 新澤
- そうです。ボードゲームっておもしろいなと思いまして、バイトをしてはボードゲームを買う、みたいな感じになりました。
- おぉ、バイト代がボードゲームに。東京では、大学やバイト先の友だちと遊んでいたんですか?
- 新澤
- いや、ほとんど遊んでないんです。2〜3か月に1回遊べればいいほうだったと思います。
- 遊んでないんですか。
- 新澤
- どちらかというと、収集していた感じです。すごろくやに行ったり、オークションで買ったりしていました。
- おもしろそうだと思ったゲームをひたすら集めていたんですね。
- 新澤
- はい。そのころは遊べなくても、説明書を読むのがおもしろかったんですよ。むしろ、説明書を読むためにボードゲームを買う、みたいな。別に遊べなくてもいいぐらいの時期でした(笑)。
- 説明書を読むために!!!
- 新澤
- ははは(笑)、ルールがけっこう新鮮に映っていたんで、読むだけでたのしかったんですよ。
- 私は、説明書を読んでも遊び方が全然わからないことがあるんですけど、新澤さんはスッと理解できたんでしょうか。
- 新澤
- いや、読んだだけではわからないものもありますね。実際に遊んでもわからなかった場合もあるし、遊んだらルールの意味がわかっておもしろかった場合もあります。
- 後者の、遊んだらルールの意味がわかったゲームは印象に残りそうですね。
- 新澤
- そうですね。例えば、『ボーナンザ』というカードゲームでは、「手札の順番を入れ替えてはいけない」というルールがあるんです。山札から引いたカードは、手札のいちばん後ろに加えないとダメ。今では、いろんなゲームに使われているルールなんですが、そのころは、このルールがどう活きるのか、説明書を読んだだけではわかりませんでした。でも、実際にプレイしてみたら、しっかりおもしろかった。このルールは自分じゃ思いつかないし、想像もできなかったというのは、いい経験でした。
- 「自分じゃ思いつかない」とおっしゃいましたが、新澤さんは「ゲームを買って説明書を読む」段階から、「ゲームをつくる」段階に移ったわけじゃないですか。
- 新澤
- そうですね。
- それはどういう流れだったんでしょうか。
- 新澤
- あー、やることがなくなったからですね。
- やることがなくなった?
- 新澤
- 買えるものがなくなったんです。欲しいゲームは、ちょっと高いものだったり、すぐには手にいれることができなかったりして、買えなくなりまして。まぁ、遊ぶのは全然できてなかったけど、一人でもやることがなくなったんですね。で、ルールにすごくリスペクトがあったので、自分でもつくってみたいなと思って。
- へぇー、それはゲームを買いはじめてからどのくらい経ったころなんですか?
- 新澤
- えーと、3〜4か月から半年くらいですね。
- えっ、3〜4か月で!
- 新澤
- 夏休みがあったんで。大学生の夏休みって長いから。
- あー、なるほど。その期間にめぼしいゲームの説明書は読み漁り終わったので、自分でもゲームをつくってみた、と。
- 新澤
- はい。最初につくったのは『卑怯なコウモリ』というタイトルで、イソップ物語をモデルにしました。3種類のカードを出し合って、多数決で勝敗を決めていくって感じのゲームですね。それをつくって、ゲームマーケットに出しました。
- 最初のゲームから商品化して、ゲームマーケットにも出展されたんですね。
- 新澤
- そうですね、自主制作で。
- それから、今までにどのくらいゲームをつくられているんでしょうか。
- 新澤
- 30〜35個くらいは自分でつくっていて、その後メーカーから出版されたものを含めると40個くらいになると思います。
- 年に3〜4タイトル出されているペースですね。あの、余談なんですけど、最初に出した『卑怯なコウモリ』のときから、「倦怠期」というサークル名だったんですか?
- 新澤
- はい。当時は2人でやってまして、私の下の名前が「タイキ」で、もう一人の名前が「ケン」だったので、そのままつなげて‥‥。
- 「ケンタイキ」、なんですね! お話を伺う前に新澤さんのことを調べようと思って、ネットで「倦怠期」と調べると、こう、男女のもめ事ばかり出てきてしまって‥‥(笑)。
- 新澤
- そうですよね(笑)。しばらく、男女のサークルだと思われていたこともありました。
- 私も一瞬思いました(笑)。ケンさんは、もうサークルには参加されていないんですね。
- 新澤
- はい、1〜2回参加したあとは、私1人でやってますね。当時、彼は大阪の芸大に通っていて、ボードゲーム制作が大学の課題にもなる、みたいな感じだったかと。
- ああ、当時は大学生だったんですもんね。
- 新澤
- そうです。‥‥あのー、ケン君は最初に話した温泉旅行へ一緒に行ったうちの1人なんです。
- わぁ、そこにつながるんだ(笑)。
- 新澤
- (笑)
- ということは、その温泉旅行から、新澤さんの人生がだいぶ変わったことになりますね。
- 新澤
- そうですね、けっこう変わったと思います。あと、一作目の『卑怯なコウモリ』はすごろくやで売ってもらえたり、オインクゲームズにリメイクされたりしましたし、一作目がボードゲーム作家のはじまりとして、かなり大きかったですね。

